素晴らしい一瞬

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ハンブルクのフラワーウイークでは、花のボールがつらさがっていたり、中心街の至るところに

花が飾られています。(ちょっと花のボールの写真の向きが変わらずですみません) 暑かったので花も大丈夫かな?と思っていました。

この上の写真を見ていただくとおわかりですが、ドイツ人の服装は季節を問わず、バラバラです。

その人が感じる体感で服装を決めます。

日本ではみな流行に敏感で、あれが流行ればそれを着るということがしばしば起こります。

しかし、ドイツでは、上の写真のように、レザージャケットを着ていれば、半そでもいるという状態です。今の時期少し暑くなると、ほとんど裸?のような人もいたり、それでもジャケットを着る人、流行りの服を着る若者、パンクの人、コスプレの人、本当に着たいものを着るという人ばかりです。

この人と同じでなければならない、という概念がありません。

この年代だから、このような服装をしなければならない、ということもありません。

70歳以上のパンクの人もいれば、私が主に気にする、二の腕を出さないように💦している人はいません、暑ければ腕を出す、そういう感じです。

一人一人が幸せで、何が好きか何が嫌い、人に合わせないで生きて行くという生き方。

それぞれが生き方、在り方を大切にする、それが私のドイツ人、特に、北ドイツの人たちに持つ印象です。

 

自分の事だけでなく、思いやりを持つ、譲る心など、日本人として持ち得るそういう気持ちは、全体的に個人主義な国なので、誰もがそうではありません。しかし、優しい人もたくさんいます。

 

先日、日本人の女性が経営している美容院に行った帰り、細い道が混んでいて、ちょっと強面の男性が前から歩いてきました。ほとんど同時に彼も、私もなぜか笑顔になって、手を差し出し、「どうぞ」と譲り合いました。

そこに生まれるケミストリーというか、笑顔のマジックは、その場にキラキラと輝き、この瞬間の出来事で一日が素晴らしくなったのです。

 

一人一人がそのエッセンスを持ち、在り方を持てば、ここですでに、二人が幸せと感じられるのです。片方だけではなく、その人も、私も。

 

私とその人とが、共有する素晴らしいフィールド、それが広がっていくこと、それはだれかに教えてもらったものでもなく、もともと私達が持っている本物の良さです。

 

本来の真実に気がつく、それがリコネクティブ・ヒーリングなのです。

いつでもその自分に戻って来れる、思い出せるのです。